定年後の生き方 |
私が定年で退職した平成5年当時は、一般的な会社の定年規定は55才から60才だった。これは年金の支給開始が55〜60才からと定められていたからであったと思われる。 60才で仕事を離れ収入がなくなっても、在職時の60%程度の年金が支給されるので、働かなくても贅沢をせず日々を暮すのには丁度適当な額だと思われていた。 私も最初は退職したら、退職金で前々からの夢であったスイス?アルプス旅行に行き後は妻と二人でのんびりと毎日を過ごしたいと思っていた。 ところがこの頃から世間の雲行きが怪しくなってきた。 在職時の総務部所属時代、厚生年金の資格取得・喪失手続きで頻繁に社会保険事務所に行っていたが、当時の窓口職員の口癖は「貴方がたの保険料は会社も同額負担して、それを退職後収入が無くなっても毎月年金として相当額を受け取るわけで言い換えれば今から老後のための貯金をしていると思って下さい」という説明だった。 ところが、経済成長が進み医療も進歩し子供の出生率低下も加わり日本人の平均寿命が世界でもトップクラスになるなかで、バブル経済がピークに達し破綻寸前まできていた。 案の定バブル経済が崩壊し、日本は経済的に厳しい状況に追い込まれてしまった。世界でも優れた制度だった「国民皆年金」が”自分の老後の貯金”から「若者が年寄りの年金資金を支えている」と云った説明にいつの間にかすり変わってしまった。 年金の支給開始年齢の段階的な繰り下げが始まり65才からとなり、最近では70才からにと変わりつつある。一方で介護保険制度が導入され年金からの天引きが始まり、貯金引き落としのはずの年金が雑所得として税金まで引かれ、手取り額が年々少なくなってしまった。 今後もこの傾向は増々厳しさを増すだろう。今後は我が家も緊縮家計での生活を覚悟をしなければならない。 一方街中には元気な高齢者を多く見かけるようになった。まだまだ働けるような感じである。それとは反対にホームレスやニートと呼ばれる人達もバブル崩壊後多く見かけるようになった。 戦後焼け跡の瓦礫の中から、誰もが必死で働き今の日本の繁栄の基礎を作ったと自負する我々世代には何とも云えない気分である。 私は49才の時胃癌で胃の3分の1を切除する手術を受けたが、それ以降病気知らずで健康そのものであり、過去の経験を活かしての仕事にも従事することが出来ているので、ある意味では幸せ者である。 もし定年後の毎日を、何もせずぶらぶらしていれば今頃は身体も動かず、ボケ症状になったかも知れない。 定年後も身体が元気で、自分に向いた仕事に出会えたら働くことが健康の源だと思っている。 今後も元気で過ごせる間は、現在の仕事を続けていきたいと思っていて、このサイトも出来る限り更新しながら、皆さんに可愛がってもらえるよう頑張っていくつもりです。 最後に一言、自分の一生は大勢の人達に支えられながら、自分自身も努力していくことだと思います。私が白旗を上げた時は黄泉の国からのお迎えが来た時だと思い、残りわずかであろう人生の最後を全うしたい。それが私の人生の定年だと思っています。 |
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