東日本大震災
  
2011年3月11日14時46分18秒、宮城県牡鹿半島沖を震源として発生した東北地方太平洋沖地震は、日本の観測史上で最大のマグニチュード9.0を記録し、震源域は岩手県沖から茨城県沖までの南北約500km、東西約200kmの広範囲に及ぶ巨大な災害となりました。

この地震により、場所によっては波高10メートル以上の津波が襲い、最大の高さは40.5mにものぼる大津波となり、東北地方の太平洋沿岸部に壊滅的な被害をもたらしました。また地震の揺れや液状化現象、地盤沈下、ダムの決壊などで、北海道・東北・関東の広大な範囲で被害が発生し、各種ライフラインも寸断され、2011年6月30日現在で、震災による死者・行方不明者は2万人以上、建築物の全壊・半壊は合わせて21万戸以上、ピーク時の避難者は40万人以上に達しました。

そしてこの地震と津波により、さらにより被害を大きくしたのは東京電力福島第一原子力発電所で、全電源を喪失して原子炉を冷却できなくなり、大量の放射性物質の放出を伴う重大な原子力事故に発展しました。放射性物質の汚染で、周辺一帯の住民には避難指示が出され現在でも長期の避難を強いられている人々が大勢いらっしゃいます。

気象庁の発表では、発生場所は三陸沖の北緯38度6分12秒 東経142度51分36秒・震源の深さ 24km・マグニチュードは9.0・最大震度は7.0 (宮城県栗原市)でした。

私は1933年(昭和8年)生まれです。この年の3月3日午前2時30分48秒、岩手県上閉伊郡釜石町(現・釜石市)の東方沖約 200 km(北緯39度7分、東経144度7分)を震源としたマグニチュード8.4の地震が発生しています。震源地は岩手県釜石町(現・釜石市)東方沖約200kmです。

この時、三陸海岸は軒並みに震度5の強い揺れを記録していますが、明治三陸地震の時と同じく地震による被害は少なかったそうです。
その一方、地震後に襲来した津波による被害は甚大だったそうです。
最大遡上高は、岩手県気仙郡綾里村(現・大船渡市三陸町の一部)で、海抜28.7mを記録しました。太平洋プレート内におけるアウターライズ地震と考えられています。
アウターライズ地震とは、陸のプレートの下に海側のプレートが沈み込む境界面で起きる東日本大震災のような地震の発生後、境界面より外側の地域で発生する地震を指し、プレート境界面の破壊後、海側のプレートの浅い部分に引き延ばそうとする力が働くため、プレート内部で正断層型の地震が発生するそうです。

この地震による被害は、死者1522名、行方不明者1542名、負傷者1万2053名、家屋全壊7009戸、流出4885戸、浸水4147戸、焼失294戸に及んだそうです。特に被害が激しかったのは、岩手県の下閉伊郡田老村(現・宮古市の一部)で、人口の42%に当たる763人が亡くなり(当時の村内の人口は1798人)、家屋も98%に当たる358戸が全壊しました。
津波が襲来した後の田老村は、家屋がほとんどない更地同然の姿となっていたそうです。

さらにその前を辿ると、明治29年三陸沖で発生した地震がある。1896年(明治29年)6月15日午後7時32分30秒、岩手県上閉伊郡釜石町(現在の釜石市)の東方沖200km(北緯39.5度、東経144度)を震源として起こった、マグニチュード8.2- 8.5という巨大地震であった。

この地殻変動によって引き起こされた津波は、当時の本州における観測史上最高の遡上高である海抜38.2mを記録するなど、津波被害が甚大であったそうだ。

宮古測候所の地震計も5分間の揺れを記録していた。しかし、各地の震度は2- 3程度であり、緩やかな長く続く震動であったので誰も気にかけない程度の地震であったようだ。最大は秋田県仙北町の震度4。地震による直接的な被害はほとんど無かったが、大津波が発生し、甚大な被害をもたらした。
低角逆断層(衝上断層)型の海溝型地震と推定され、三陸沖地震の一つで、固有地震であるが、震源域は特定されていない。

私がこれらの記録を読み、強く感じるのは三陸沖沿岸は、短い周期で地震が多発する危険な地域であり、その防災対策は十二分に国として行うことが必須であったにも拘らず、それがなされなかったのではないかという疑問である。

特に原子力発電所という、最も危険な施設を国が主導してこの地域に建設したのは大きな失政だったのではないだろうか?
その意味では数十年も前からこの原発を国の政策として推進・執行してきた当時の政権党である自民党には大きな責任があると思う。

それが、現在民主党政権・特に菅首相の退任を見越して政局絡みで、被災地や被災者のことを忘れていると思われる様な国会運営には、怒りすら感じます。少なくとも今は一刻も早く被災地の復興・被災者対策に、全ての政治家は党派を超え一致協力して対応すべきだと私は思います。小沢一郎さんは東京で派閥議員と会う時間があるのなら、地元の東北で陣頭に立って被災地の復興・被災者対策に走り回られたら如何ですか?

被災された皆さんは一生懸命明るく再生を目指して頑張って前進されています。そして国民みんながそれを何らかの形で応援しています。
政治家の皆さんは、それを横目にしながら何時まで政争にうつつを抜かしているのですか? 直ぐに現実直視の政治を進めて下さい。


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