70年目の8月15日
  
 
今朝も5時半起床、二階北向きの窓から空を見る。今日は雲が多そうだ。
70年前の私は小学校6年生で、毎朝町内の各戸に新聞を配達していた。配達所に行く時に見た空は雲一つない、抜けるような青空だったことを今もハッキリ覚えている。 配達所に付くと、今日は新聞は昼に放送がある、玉音放送が終ってから配達することになったと指示された。

正午、家で家族や近所の人達と天皇の国民への呼びかけで日本が敗戦を受け入れ、戦争が終わったことを知らされた。
放送終了後、新聞配達所に行き新聞を受け取ると、一面に大きく日本が連合国側に無条件降伏を受け入れ、戦争が終結したことが記載されていた。

その夜から部屋の電燈に黒布のカバーを被せることもなくなり、部屋が凄く明るく感じた。処が深夜になると家の前の道路が多くの荷馬車が往来し騒がしくなった。聞くと敗戦でアメリカ国軍が上陸し襲ってくるので早く山手の奥に逃げた方が良いと云って荷物を積んで避難する人達だった。

我が家は街中の人が多いところにあり、お互いに助け合えば大丈夫と荷物を纏めることもしなかった。

この70年間、8月15日は必ず夜は両手を合わせて拝んできた。終戦の日がお盆の送り火と重なり自然とそうなった。今夜もまたそれを繰り返す。

御先祖様を送る為の合掌だが、私の手合せには終戦を感謝し、今の自分や家族の健康を感謝する気持ちが含まれていると感じている。
今日も丁度お昼頃の空は70年前と同じように青空が広がり暑かった。

70年間ささやかながら平和な生活を続けてこられたのは、私は今の平和憲法、特に9条の戦争の放棄に守られてきたと思っている。
戦争を知らない人が国の政治を司る時代になり、平和法制で憲法解釈をその時代に都合よく解釈しようとする人達が声を上げ始めている。

私は70年前の終戦の日を迎えた12歳の時と同じ純な気持ちで、今日も
明日も、そして今後も平和な世界が続くようにと手を合わせる気持ちです。


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