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昭和20年終戦直後の福岡市内の焦土写真
昭和20年6月19日福岡大空襲後の市内中心部幹線道路を中心にした焦土の様子

は じ め に

 私はこの世に誕生して50年以上を昭和の年代を過ごしてきました。
小学校入学の頃までは、比較的恵まれた生活や家庭環境の中で育てられたと思っています。そんな時代環境が一変したのが昭和16年12月8日の太平洋戦争の勃発でした。学校での教育・世間の風潮・伝えられる報道・食糧事情等が、日を追う毎に厳しくなりました。父親が職人さん2人と共に経営していたコロタイプ印刷店も、鉄製の印刷機械が日本軍に供出させられ、職人さんにも軍隊召集の赤紙が届きました。長男の私の下に3人の兄弟がいて日々の生活が苦しくなり始め、とうとう父親も徴用で炭鉱に住み込み働くようになり別れ別れの生活になりました。街中でも軍事色が濃く滲み始め「欲しがりません!勝つまでは。」の標語が日常的に使われるようになり、学校の教育も軍事色の強い授業になりこの様な傾向は昭和20年8月15日の終戦の日迄続きました。
戦争の恐怖、怖さ、恐ろしさ、集団心理などの自分自身の体験を、いろいろな角度でここでお伝えしたいと思っています。

70年目の8月15日   70年前の8月15日に感じたことふりかえる。
70年を迎える福岡大空襲  6月19日の空襲での私の実体験を記録する。
 軍国時代に育つ  生まれた時から軍人になることを教え込まれた。
 軍国時代の教育  皇国臣民として奉安殿を崇拝するよう教育された。
 修身教育について  修身教育についての私の個人的な思いについて。


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